「村のおばあちゃん」
シンプルで素敵な名前のおばあちゃん。
稲子さん。
稲のようにスクスクとなのか、
食べ物に困ることがないように願う親心か。
今度聞いてみたい。
すごく美しい名前。
孫につけてあげたいな。
「子孫からのギフト」
「この土地はご先祖様から受け継いでる大切な土地でな、。」
って、
よく聞くけども。
まぁ、それもわかるけど。
のわりには、用水路にタバコポイ捨てしたり、持続可能的農法ではなかったり…。
色々思うことがあった。
これからは、
「この土地は子孫からの預かりものでな。」
と言いたい。
預かりものの認識だと
少なからず大切にしたい気持ちに
ならないかな。
大人になったらもう
先祖の立場なんじゃないかな。
いつまで子孫の気になってるんだろ。
死ぬまで?
それとも生きてる私達は先祖と子孫の狭間?
「ご先祖様の願い」
田んぼに引く水は側を流れる川から。
その川のほとりに弁天さんの祠がある。
この川がいつまでも清き川でありますように。
そんな想いからきっと建立された。
看板にもそう説明されていた。
ここに祠を建てれば
子孫は川を汚すことはないだろうって
ご先祖様の願いから置かれた。
その想いを認識してる人はどれくらいいるんだろう。
祠の前に夏祭りの時にだけ揃い礼服を着て手を合わす。
形だけの虚しいマニュアルじゃなくて。
おめえらそこまで堕ちたんか、って。
ご先祖様が泣いてるわ。
一刻も早く、
この大地を癒すためにはを。
未来の子孫から預かってるこの大地を。
そこに至れば、
今のやり方も変わってくはず。。。
そんな風にもどかしさを抱えながらも
その中にはちゃんと、ご先祖様の想いを引き継いでいらっしゃる方もいた。
その方からお米作りの指導を受けさせていただいた。
お米作りからこんなにも気付きと学びを頂けたのは、遺伝子の喜びの伝播が促してくれたように感じる。
主食であるお米を深く感じるには、実際にお米を育ててみるのは手っ取り早い。
食べることは生きることに繋がるから。
沖縄に戻ってきてお米作りを諦めていたが、歩んだ人生で失ったはずの周波数はまだ生きていて、わかりやすくシンクロの連続が起きた。後押ししてくれてるんだよね、ギフトとしか思えない、導いてくれてるとしか思えない流れと、
まだ学びと気付きが残っているのかもしれない。どこまでも追求したい。できるなら。。